過去の人の話。
童貞を頂くということ
ご存知の人もいるだろうが、私は童貞が好きだ。
童貞を恥じてる人もいるだろうが、自信のない様や、これで良いのかと緊張している姿、頑張ろうとしている向上心に満ちた姿勢、初めて体に触れた時の歓声、全てにおいて趣がある。
流行りの言葉で言うとエモい。童貞はエモいのである。
行為を終えた後に童貞は、すごい感謝してくれる。
「初めてが私でよかった。」と、可愛すぎる言葉をかけてくれるのである。
こんなさえないクソビッチのことを必要としてくれるのである。さらには、大切にしてくれる。実にエモい。
不慣れな点は、教えていけばいいのである。なぜなら彼らには向上心がある。
話せば語りつくせないので、この記事は何度も推敲して、もっといい文章にして行こうと思う。
好きな人のことを考える
2日間好きな人から返信が来ない。
事故にあってないか、体調は悪くないか、
そんなことを考えながらTwitterのファボ欄を見る。2時間前にファボをしている。
ああ、良かった…。元気なんだ…。
安堵感と共に虚無感が襲ってくる。
私は好きなのに、好きな人は私のことなんてこれっぽっちも興味ない。1分の時間を使う価値もないんだ……と悲しくなる。
これだけネットが普及している中で、人を思うという気持ちは、いつの時代も変わらない。いつの時代も愛しさ、嫉妬、執着が渦巻いてる。
変わったのは、目につきやすくなった事だ。
好きな人は今頃、他の女の子と一緒にいるのだろうか。
そんなことを考えながら、私は今日もマクドナルドに月見バーガーを買いに行く。ひとりぼっちで。
整形することは過去を捨てるということ
お金があれば幸せになれますか?
私は幼少期、生活保護で暮らしていました。
母から「お金がない」と言われ、
みんながエンジェルブルーやメゾピアノをきてる中、私は姉の使い古した10年前のお古の服を着てみんなが羨ましかったのを覚えています。
私立の高校に入ったら家族や親戚から
「お金がないのにこんな高いところに入って……」と言われ続けてきました。
欲しい物を買えず、行きたいところに行ったら小言を言われ、高校を卒業したころには
「お金がある=幸せ」だと思っていました。
だって、それまでの日々が幸せだなんて思えなかったんです。
大学四年間、友達の誘いを断ってお金を稼ぐことだけに専念してきたのですが、
お金が貯まっても心が満たされることなんてなかったです。
欲しい物はなんでも手に入るし、
食べたいものは食べられるし、
幼少期に欲しかったもの
全部手に入れたはずなのに
何しても虚しいんです。
お金があれば最低限の不幸は免れるけど
自分の大切なものの順位に
1番にお金を置くと、幸せにはなれません。
お金に翻弄されて、大切なものを見失わないでほしいです。
戻れなくなっちゃうからね。